タグ:危篤
2017年6月23日

不思議なことってあるもんだ。夜寝ている時に、何かを思い出したように目が冷めた。これって虫の知らせかなwwwwwwwww

831 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/ 2014/10/25(土) 13:49:12 ID:w/K5zilv0.net
夜寝てるときに、あっ!て、何かを思い出したときのような感覚があって目が覚めた。
その5分くらい後に家の電話が鳴って、入院していた身内が危篤だと。
親父が慌てて病院行ったけど、自分はその身内が入院してるのはわかってたけどそんなに危なかったとは聞かされてなかったからびっくり。
過去にも何回か同じようなことがあって、不思議で不思議でしょうがない。
これって何なのかな。

2015年8月30日

【姉と祖母】姉は明るく賑やかな性格。静かに怒って悲しむタイプ。→おばあちゃんっ子でもあった姉は施設に入った祖母の見舞いにも行ってた。→しかし、祖母が亡くなると・・・

217: おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2014/01/09(木) 22:47:43.32 ID:qSLBiLDD
数年前に祖母がタヒんだ時からの数日間が修羅場だった。
長いので嫌な人はスルーでお願いします。

うちは母1人子3人(当時姉25、俺21、妹17)で、亡くなったのは母の母。
祖父は祖母より10年早くタヒんでて、そのころからボケたり病気だったりで、施設とか病院とかに入ってた。
修羅場を巻き起こしたのは姉。
姉は明るく賑やかな性格で、暴れたり怒鳴ったりとかは見たことない、静かに怒って悲しむタイプ。そして自他共に認めるばあちゃんっ子。
ガキの頃は、長い休み(夏休みとか)が始まれば、休みが終わるまで祖母家に入り浸り、遊びに来た祖母を泣きながら帰るのを引き留めたり、
祖母が俺の地元の施設に入ってからは、休みの度に施設や病院にいって、喋れない聞こえない身内の顔も忘れてる寝たきり状態の祖母の顔見て一方的に話しかけるだけで、数時間どころか丸一日過ごせる位。
祖母は姉だけを贔屓してたとかではなく、どの孫にも平等に可愛がってくれたけど、やっぱり姉には格別な思いがあったんだと思う。
誰が見舞いに行っても同じ反応の中、姉が顔を見せると微かに笑ったり涙ぐんだりしてた。ボケてるはずなのにね。

ここまでが前提。長くてごめん。

2015年6月3日

【確執】子供が産めなかったことを責めてきたトメ→ウトが亡くなってからは急に大人しなり謝罪してきたし和解できたかと思っていたんだが・・・

424: おさかなくわえた名無しさん ID:SUrhz0Tr
今現在の修羅場・・・心の修羅場です。
今までにあった、というスレタイに逸れていてすみません。
義母がいよいよ・・・という時を迎えている。
医者からもういつお迎えがきてもおかしくない状態と言われてから半月、
危篤になっては持ち直し、又危篤になっては持ち直し、
なんだかよく知らないけど、とりあえず今は安定している。
義母本人は目が覚めていてもボーッとした感じ。

私と義母とは確執があった。
夫とは同居結婚だったんだけど、結婚して2年目に流産してから
その後子供に恵まれることがなかった為、
流産させたことをずっと責められていた。
それで鬱になって、義父の勧めもあって別居することにした。

2015年5月22日

ゼミ発表の最中、祖父の危篤を知らせる連絡を受けた→すぐに向かいたかったが質問攻めに・・・何とか振り切ったが、その後に思いもよらない噂が・・・

753: 名無しさん@HOME 2011/03/02 21:01:44
大学3年の時、ゼミで勉強会があった時に私の発表前に祖父が危篤という連絡が携帯にあった 地方なので間に合うはずもなく、祖父は昏睡状態になる前に 「しっかり勉強しろ」 と言っていたらしく、とにかく発表が終わったら急いで帰ることにした ところがその発表が同席していた院生の質問攻めに合い、それに答えつつも早く帰りたくて半分泣いていた やっと発表も終わり急いで帰ろうと思っていたら、院生が私が泣いているのは自分のせいだ、と思い謝り始めた こっちはそんなことどうでもよく、泣きながら 「うるさい!!」 とその場を後にした 葬式には参加出来、何とか落ち着いたので大学に戻ると、とんでもない噂が立っていた 私が妊娠し相手は勉強会で突っ込んだ院生 認知してくれないことに私が涙し、院生が必死になって弁解 それに私が反発して泣きながら走り去った もちろん嘘だが、問題はこの話が教授たちにまで広まったこと おかげで院生は教授会議にかけられ、遂には学部内の教授全員の取り調べを受けたらしい その院生のせいで、東京駅で1時間半、地元に止まる新幹線を待つ羽目に遭い、しかも後少し早ければ・・だった私は「もっとひどい目に遭わせたい!!」と怨みに思った だが、友人から院生が事情を知ってものすごく苦しんでいたことを聞き、その話は嘘だと証言し彼は無事お解き放ちとなった ちなみに後にその院生は自責の念から病気になり長期入院をすることとなった