カテゴリ:自分語り
2019年12月24日

幼い頃から母に愛されていない自覚があった。大人になり、思い切って父親に真相を聞いてみたが「そんな訳あるか!」→それでもしつこく追及した結果、父「実はな、母さんはなぁ・・・」

159 :名無しさん@おーぷん 2014/09/06(土) 12:06:11 ID:???
書き捨て
どこに書いたらいいかわからないし、話せる人もいないので。

昔から母に愛されていない自覚があった。
自分もいい年になって親父に真相を聞いてみた。
否定されたが、しつこく追求した。
愛してるならどうして俺に一度も笑顔向けたことがないのか。
どうして俺との会話だけ淡白なのか。
どうして俺を汚物を見るような目で見るのか。
結果、やはり俺は愛されていなかった。
俺は母が好きだから、わかっちゃいたがすげー悲しかった。
母は俺にだけすげー冷たいけど親父やペットには人が変わったように優しいんだよ。
別に虐待されてたわけじゃない。
ただ手をつないだり、抱っこしてもらったり、そういう記憶がない。

母は「子ども」という存在を嫌悪している。らしい。
これは精神的な病で、通院もしてたそうだ。
子どもはいらないという条件で結婚したが父はやはり自分の子が欲しくて頼み込んだ。
母は妊娠したが、自分の中にウジ虫がたくさんいると発狂、鬱に。
流産することなく無事に産まれたが、 俺に一切の興味がなかった。
むしろ気持ち悪いと思っていた。
俺が泣くたび騒ぐたび、母は俺を嫌悪した。
最低限の世話はされた。ペットの犬のついでに。
本当は俺なんかに触りたくもなかったから、出来るだけ触らないようにしていた。
出かける時はちゃんと連れて行ってくれた。
手は繋がなかった。でも俺はきちんとついて歩いた。
きっとはぐれても捜してくれないと思ったから。
1日騒がずに外出出来たら帰りにおやつを買ってくれた。
それだけで嬉しかった。
夏休みの自由研究を手伝ってくれた。母は絵が上手い。
母は俺とは最低限の話しかしないし触れないけど、母が好きだった。
わからない宿題は教えてくれた。
俺は母と会話したくて、わかる問題すら質問を繰り返した。
母は俺のことを名前で呼ばない。お前とか、子供のヤツ、とか。

母は2才頃から10年ほど両親からひどい虐待を受けていたらしい。
母が子どもの頃は同年代の子の家庭を羨ましいと思っていた。
だけど、大人になるにつれ、羨ましいという感情のほかに、ずるい、憎いがくわわった。
母は見ず知らずの子ども達を見て、こいつらのほとんどはタヒぬまで一度も殴られる痛みを経験することもないんだ。こいつらは幸せなんだ。ずるいずるい憎い不幸にしてやりたい。ひどい。という思考回路になってしまうらしい。
たとえそれが自分の子どもでも。

支離滅裂な文章ですみません。
ただやっぱり俺は母が好きだなー。悲しいけどね。
現嫁との結婚報告も興味なさげだったし、孫なんか絶対連れて来んなって言われてるから、まだ孫の顔も見せたことないけど。

2019年10月9日

あるとき家に帰ったら庭にベンツがとまってて、父に聞いたら「お中元でもらったやつ」私「ええ?!」と、いうのもうちの家系は〇〇で他にも何百というお歳暮やお中元が・・・←あーそう

445 :名無しさん@HOME 2013/06/23(日) 04:02:50 0
うちは公務員系の家系、役職の関係で昔はうちにも何百てお歳暮やお中元が届いてた
父が貰った一番高価なお歳暮はベンツ
あるとき家に帰ったら庭にベンツがとまってて、
それがお中元だと知ってビックリしたのを憶えてる
名義は某会社の社長名義だけど、自由に使ってください
必要なら名変代金、贈与税金は向こう持ちで名義も変えますよって感じの変わったお中元だった

だけど、お中元やお歳暮が通達だかなんだかでトップダウンで全面禁止されて
貰っちゃったら辞職ものでアウトってことになって、
親族間の贈答も、解釈次第ではアウトもあり得るかもってことになった

公務員なのはうちだけじゃないから、他の親族もみんな一斉に贈答には厳しい制限が付いたんで
親族みんなで話し合って、それを期に親族間での贈答のやり取りを一斉に止めた
いきなり贈答の事務負担から解放された母達女性.陣は大喜びだった

そんな経緯があってうちの親族は中元歳暮は一切なしなんだけど
弟の嫁は、中元歳暮をしないなんて礼儀知らず!!という考えの持ち主で
空気を読まずに自信満々で送ってくる
私も母も送って来られたら一応返すけど、それは別に構わないんだけど
でも、お中元お歳暮は送るが常識なんです!と言わんばかりの義妹の態度が微妙にムカつく
義理の親族との中元歳暮は、相手の流儀に合わせてほしいと思う
事前に連絡しないのが流儀なら、それでいいんじゃないのかな

2019年6月5日

付き合った初日から、俺「結婚しよう!」嫁「NO」しかし俺父が末期がんとわかったら…嫁「お父さんのためにしばらく籍だけ入れよう」俺「ファッ?!(嬉」→全てが終わって、15年後…

62 :名無しさん@お腹いっぱい。 2017/09/04(月) 20:46:39 ID:Ji2BMaBh0.net
付き合った初日からプロポーズしまくっていた俺にNO!しか言わなかった嫁が、俺のおやじが末期ガンって分かったら、結婚してくれた。
おやじは結婚指輪をはめた俺と嫁を見て嬉しそうだったよ。
全てが終わって、
「さぁ、離婚しようか。」
っていう嫁をなんとかなだめて15年。

2019年5月23日

優しくて大好きだった夫が不妊と判明してからどんどんおかしくなっていった→暴言と暴力に耐えかねて離婚。その後良縁に恵まれ再婚したが、元夫から連絡が。その内容とは・・・

51 :名無しさん@おーぷん 2018/11/27(火) 07:53:05 ID:jW1
早朝から長文です。吐き捨て。
40もとうに過ぎたのオバちゃんの愚痴聞いて。
私は過去一度離婚しているんだけど、その理由が元旦那の無精/子症からの鬱(束縛/暴言/暴力付き)
出会った時、元旦那は大学の助手で9歳上。自然にお互い惹かれ合って、周りに内緒でお付き合いを開始して、大学卒業後2年後に婚約、その1年後に結婚した。
とても幸せだった。元旦那は博識で物腰も柔らかくて、重いものや面倒ごとも率先して助けてくれて、なんて素敵な人と結婚出来たんだろう!私は三国一の果報者だ!と本気で思っていた。

結婚にあたって将来の子供の事も話した。
子供のためにお互い検査しよう!男のブライダルチェックってどこでやればいいんだろう?って前向きに考えていて、女だけでいいよね、男は恥ずかしいんだよ、なんて言う人でもなかった。
でもその検査で彼が無精/子症だとわかった。
それからゆっくり坂道を転がる様に最悪の方向に進んだ。新婚気分なんてものはなかった。

2019年5月21日

食べ物を残す事を許さず、減らしてくれというと怒鳴り散らす母に育てられた私。同棲中の彼「ご飯の量が多い。満腹じゃない=足りてないって考え方は変」私「え」→他にも…

3 :名無しさん@おーぷん 2018/07/31(火) 19:56:15 ID:Pyg
>>1乙

フィーダーの母親に育てられ、「食べ物を残す」ができなかった。
食後のげっぷで食べたものが出てくるほどの食事量だった。
量を減らしてほしいと言うと食材をシンクに叩きつけて怒鳴られた。

ある時友達と電話しながら、
「おやつにポテチ食べたいけどビッグサイズしかない。食べると夕飯が入らない」と漏らしたとき
「少し食べて残せばいいじゃん」と言われたときスレタイ。

また、食事=満腹のイメージがついていた。
同棲を始めた彼氏に「量が多い。いつもお腹いっぱいになる」と言われるも、
「完食してくれてるし、減らしたらお腹いっぱいにならないでしょ?」と当たり前のように返すと
「お腹いっぱいにしなくていい。満腹じゃない=足りてないって考え方は変」と言われてスレタイ。

そして、実家では食事中の水分はコップ一杯までと決められていた。
カレーが辛くても、パンなどで口の水分が減ってもコップ一杯だけ。
理由は水っ腹になると完食できないから。
だから今でも食事中に水分をほとんどとらない。
飲み会でいつも二次会から急に飲酒ペースがあがることを指摘され、
上の話をしたらおかしいと言われてスレタイ。

2019年4月21日

姉は美人だけど私は普通。周囲からもよく比較されて育ち、どうせ姉には勝てないからとお洒落に興味がないフリして生きてきた。しかし成人式の時、姉と同じ着物を着た私に親が・・・

283 :名無しさん@おーぷん 2016/02/13(土) 00:42:05 ID:B92
愚痴からの改心宣言。

姉が美人だ。私普通だ。
私は親戚同級生もろもろからよく比較されてそだったため色々こじらせた。
私が努力しても姉には勝てなくて、ならいっそおしゃれに興味ないから比較されても平気みたいに振舞えばいいんじゃねと思った。
かわいいものも好きだったけど興味ない振りして、スカートはどうせ似合わないから履きたくなくって、
ずっとそうやって自分に諦めてすごしてきた。
でも成人式で姉と同じ着物着ることになって前撮りしなきゃならなくなって、
写真嫌だとは思いつつも久々の綺麗な格好にすこしうれしくなってたんだけど、
作り笑い苦手で、でもがんばってぎこちない笑いをうかべてたら
「姉見たいには笑えないね」って親の声が聞こえて、なきそうになった。
そのあとずっと涙目だったけど泣くわけにはいかないから堪えてた。
そんな自分が惨めで嫌で、家に着くなり泣いて泣いて、
で、コンプレックスメーターがふりきれたのか、どうでもよくなった。
どんなに努力しても姉には勝てないけど、比べられるのもほんとうにしんどいけど、
でもかわいい服私も着たいし、かわいくなりたい。
思いたって服を一掃して、何年ぶりかスカートもはくようになった。
まだ自分に自信は持てないけど、少しずつ前向きになっていきたい。
いつか美人になってイケメンに告白されて「ごめんなさい、私二次元にしか興味がないの!!」ってフるのが目下の夢。

2019年2月15日

小学生の時にオタクに目覚めた私は、自分を「みんなより大人っぽい中性的な美少年」だと思い込んでいた。イケてると思っていた私はとんでもない恰好でSCに出かけたが・・・

17 :名無しさん@おーぷん 2018/04/26(木) 13:06:41 ID:ZQt
思い込みで客観的な視点をかんっっっぜんに失ってた経験と
霧が晴れるみたいに一気にそれがなくなった瞬間は衝撃的だった

小五くらいから痛いオタクと腐女子を拗らせだした。
同族の人にはわかってもらえるかもしれないけど、痛いオタクって自分を漫画とかアニメのキャラみたいに思い込むことがある(いわゆる厨二病)
私は自分が明るい美少女ヒロインじゃないことはさすがに自覚してたんだけど、
影があってみんなより大人っぽい中性的な美少年(のようで実は男装の女) みたいな…なんでか自分がそういうキャラだと頭から信じてた。
実態はデブスだから男か女かよくわからんただの根暗コミュ障オタク女児なんだけど
全ての短所を超ポジティブ方向に捻じ曲げて思い込んでそのキャラを普段から演じてた。
喋り方も俺って~だぜ?みたいな男口調にしてたし
意味もなく遠い目でため息をついてみせたり、はしゃいでる同級生にフッ若いねぇ…って呟いてみせたりとかしてた。
(前世の記憶があるから見た目は10歳だけど魂は17歳で、辛い過去を引きずってるみたいな脳内設定の演出)

男の子っぽい格好でも着こなせちゃうアタシのつもりだったから私服も男子向けのやつを着てたんだけど、
夏のある日、メッシュ素材の白のタンクトップを着てジャスコに行ったんだ。
Tシャツかなんかと重ね着で着るもんだと思うんだけど、アニメ脳だから一枚で着てもおかしくないと思ってた。
(なんかこんな感じで↓タンク一枚は現実のファッションとしてありだと思っていた)

アニメ脳だから下にブラもシャツも着てない。なぜなら男装の美少年だから。
ふとでっかい全身鏡に映った自分を見た時に、乳首が浮いてるな?って急に気付いた。
相撲部みたいに胸も腹もデブだったからメッシュのタンクならそりゃ乳首透けるんだけど、それまで全く気づかなかったのにその時突然気付いた。

その瞬間が本当にぱああああっと霧が晴れるみたいだったんだけど、自分が変隊の乞食みたいな格好してるって気付いて猛烈に恥ずかしくなった。
ゲーム買うために握ってたお金でジャージ買って急いで羽織って帰って、私今までなんて格好で外歩いてたんだろう!?って思った。
鏡をよーく見てみると、髪は手入れしてないから汚いモッサモサだし肌もニキビ面で脂テカテカだし
眼鏡は指紋でベタベタだし、発育のいいデブだからスネ毛ももじゃもじゃ、なんならヒゲまでうっすら生えてて本当にショックだった。
小五ともなると、周りの普通の子は手入れしたりおしゃれしてたと思うけど
私は必要最低限すらもなんっっにもしてなかったししなくていいと思ってた。
なぜなら漫画のキャラは、地味な子も男っぽい子も何もしてなくてもちゃんと綺麗だったから…
え?化粧なんかしてねーけど?っていう少女漫画の男勝りなヒロインも、すっぴんのままで美しいとこが化粧臭いブス女共より全然イイ!みたいな感じでモテていたから…
なんにも努力してない自然体の美しさでいることが主人公である私の条件とすら思ってた。
その後は俺女もすぐやめたし眼鏡も拭いたし小さく大人しくなって過ごしました…

派手な服着てるのに髪ボサボサですっぴんだな…みたいなオタクの子がたまーにいるかもしれないけど、
それは単に手入れが面倒くさいのかもしれないし、もしかしたら私みたいに目にフィルターがかかってるのかもしれない。
それまでも鏡は毎日毎日見てたのになんで気づかなかったのか、なんで突然気づくのか、人の脳って本当に不思議だなと思うわ。
中性的美少女から汚いデブスだって突然気付いて見え方が変わった時の衝撃といったらなかった。

2019年1月31日

ライバルの女の子に負けたくなくて勉強を頑張ってきたのに、ついに勉強のし過ぎで過労で倒れてしまった。母「あの子には勝てないし、追いつけないのよ・・・」→衝撃の理由がこちら

215 :名無しさん@おーぷん 2017/10/13(金) 23:23:49 ID:1vh
私は小中とずっとライバルの女の子がいた
仲が悪かったわけではなくて、好敵手
塾も同じで、お互い競い合ってた
小学生のころは成績が並んだんだけど、中学からは徐々に差ができてきて、どれだけ勉強しても中3の頃には圧倒的な差ができてた
偏差値で言うなら、彼女は75で私は68
私はどうしても70の壁が超えられなかった
遊びも部活もせず、睡眠時間も削って勉強し続けた
ガリ勉とクラスで馬鹿にされてイジメられても勉強だけは続けた
それでも成績は上がらなかった
そして中3の9月、過労で倒れた
内蔵が壊れてて、三ヶ月の入院
でもその間もずっと勉強してた
そのせいで病気の回復が思わしくなく、医者から注意を受けた
無視して勉強していると、母から衝撃の一言を言われた
「あなたは障害があるから、彼女(好敵手)には勝てないし、追いつけもしないのよ」
私は昔から音の聞き分けが下手だった
集中してないと、人の会話と周りの雑音が混じって、声は聞こえても話しかけられていることすらわからなかった
例えて言うと、皆は外国人が英語や中国語を話しているとき、意味がわからなくてもそれが英語や中国語だとわかると思う
私は日本語を聞いて、それが日本語だと識別はできても、意味がわからない
集中することでやっとわかる
母が言うには、このせいで学習障害があるんだと言われた
父が私の障害を認めなくて、私はずっと知らされていなかったけど
どういう関連からわからないけど、文字での学習能力が壊滅らしい
文字を見て未知のことを理解しようとしても、できない(映像なら理解可能)
小中学生のころ、歴史の漫画を読まされ、やけに科学館等に連れて行っていろんな実験を見せてくれたのは、私は見ないと理解できなかったかららしい
私が勉強に遅れが出なかったのも、母の努力と一応地頭がよかったから?らしい
実際に高校に行った途端、特に科学と物理が皆目駄目になった
原子の働きや目に見えない力の働きを教科書の説明で理解することができなかった
できたのは公式を覚えて当てはめる計算問題だけ
授業終わりに何度も先生のところに行って説明してもらった
でも先生も言葉と文字の説明だから、理解できない
先生からは「頭の良し悪しじゃない、もうセンスが無いとしか言いようがない」と言われた
そこからが修羅場
ずっと母のお陰で学習障害を意識してこなかったせいで、どうやって勉強したらいいのかまるでわからなかった
勉強が人生の大半を締めてたから(学生なら当然だけど)、自分の生き方も見失った
大げさな話、理解できない自分ってものを理解できなくて、思春期と相まって自分が自分じゃなくなったみたいな感覚
耳が悪いのが原因だから、英語のリスニングもボロボロだった
国語の試験も、説明文はまだ型にはめて解けたけど、随筆や物語は無理だった
センターが使い物にならないから、私学しか行けなかったが、英語のリスニングがボロボロなので、ギリギリF欄回避しかできなかった
好敵手の子は大阪の薬学部に進学してた
母からは「障害があるから、ごめんね、ごめんね」と何度も謝られた
大学からはバイトを始めたけど、マニュアルは読めても未知の部分だけ頭に入ってこなかった
見本を見せてもらえたらわかったんだけど、常にマニュアル通りになるなんて保証もなく、常にマニュアル片手に細かく確認しながら体で覚えた
気づいたらご飯3日くらいたべてなくて、母に心配されて病院に行ったら、栄養失調と鬱になってた
大学はレベルが低いら卒業できたけど、医者からまず鬱の治療をするように言われて、就職できなかった
それから30の現在までずーっとフリーター
幸い税金と年金は払ってるので、辛うじて社会のゴミではない
中学の頃の私を知ってる人からは、どうしたのかととても心配される
幼い頃に学習障害を自覚して訓練していれば、少しは屑度がマシになってたんだろうか

2019年1月26日

私が学生の時、母が不倫相手の子供を妊娠して両親が離婚。普段は怖い父親がわんわん泣いているのを見て胸が苦しかったものの、なんだかんだで「母親だし」と同情していたのだが・・・

51 :名無しさん@おーぷん 2017/09/19(火) 21:42:41 ID:oNJ
私が中2、姉が高2の時両親が離婚
理由は母親のプリン、腹には間男との子もいた
普段恐ろしい父親が「お前等には申し訳ない事をした」とわんわん泣いてるのを見て苦しかった。
そこから父、姉と3人で何とか生活し、無事成人出来た。

母は子を産み間男と幸せに過ごすのかと思いきや、
義母が孫と息子(間男)、母の金品を取り逃亡。
結局弁護士を雇われ無理矢理離婚された。

私は母を恨んだが、境遇に同情し時々ご飯を食べに一緒に行っていた。
しかし、その時期母は彼氏でも無い男と行為を重ねており、
私に「排卵日なのに中●しされちゃった。」と言い出した。
元々イカれてたのは分かっていたが流石にドン引き。
子供が出来たら可哀想、また前みたいに不幸な子供が産まれちゃうよと伝えたら、
「あの時は狙って作ったんだもん。」と。

その時の私の心中が修羅場だった。
誰にも言えず、ずっと胸糞悪かった。

2019年1月17日

お世話になった伯母が他界した途端、鬼の首を取ったように母が「お前は本当は(兄)と私の間に出来た子、(兄)は私と伯父の間に出来た子」と私に言った。

740 :名無しさん@HOME 2012/04/11(水) 01:42:14 0
私は本当は兄と母の間にできた子で
兄は母と伯父の間にできた子だったということ

私の耳に入れないよう自分を犠牲にしてくれていた伯母がタヒんだら
鬼の首でもとったように母が私に言った
本当は私は生きてちゃいけない人間なんだと思う
でもタヒねない
生き穢くてごめんなさい