カテゴリ:涙
2015年8月6日

【本当の飼い主】迷子になった小型犬を預かっていたら「うちの犬を引き取りにきた」→私「お宅の犬だという証拠を見せてください」夫婦「そんなもんないわよ!」→逃亡・・・→本当の飼い主が見つかったものの・・・

533: おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2012/04/24(火) 16:36:32.84 ID:fdGW+lC0
数年前の話。
仕事帰りに比較的交通量が多く、街灯の少ない道を疲れ切って歩いていると、
前方から地面を這うようにして何かが のそっ… のそっ… と近づいてきた。
びっくりして足を止めてまじまじ見てみると犬だった。小型犬。リード等はなし。
驚いて脇により、犬の相手をしながらしばらく待ってみたけれど飼い主らしい人影もなし。
仕方なく捕獲して最寄りの交番へ連れて行き、拾得物の届出なんかをして自宅で預かることになった。
うちにも犬がいたし。
地元のペット掲示板などに迷い犬保護の書きこみをして数日ほど経ったある日、
見知らぬご夫婦と男の子が二人来襲してきた。
「うちの犬がお宅にいるそうだから引き取りにきた」とのこと。
飼い主見つかった!と喜ぶと同時に、なんでうちが分かったの?と違和感を感じて
(当然掲示板には個人情報に関することは何も書いてない)
「もちろんお返しします。でもその前にお宅の犬だという証拠を見せてください」とお願いしたところ、
いきなり「そんなもんないわよ!」と切れられた。
「ペットショップでの売買契約書か、血統書か、ご家族で撮った写真ですとか、何かあるでしょう?」と
言っても一切「ない!」の一点張り。
そのうち「返さないつもりかこの泥棒!」と夫婦でヒートアップしてきて、クソガキ二人も
「どーろぼ♪どーろぼ♪」と囃しはじめた。
すごい怖かった。この時が第一修羅場。
その辺りで騒ぎを聞きつけたご近所さんが警察に通報、交番からお巡りさんが駆けつけてくれて、
お巡りさんの姿を見た途端夫婦逃亡。子供置いて。つってもすぐに捕まってたけど。
その場で話を聞くと、結局犬は夫婦とはなんの縁もゆかりもなく、近所の噂でうちが迷い犬を保護したと聞いて、
「子犬をとれば金になる!子犬産ませられなくても売れば金になる!」と思ってやってきたのだそうだ。
それからちょっとごたごたしたけれど、最終的に自分たちのやろうとしたことが詐欺に当たると理解したことと、
友人知人に知れ渡って大恥かいたことで、我が家には二度と関わらないという念書を書いてもらって収束した。
犬の飼い主は見つからなかった。

2015年8月1日

【管理人と愛犬】大学寮にイカツイ顔の管理人さんとイカツイ犬がいた。→管理人「彼(愛犬)の好物は日本人女性」私「・・・」→ある日の帰り道、何者かに襲われてしまったんだが・・・

533: おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2013/02/28(木) 01:43:17.84 ID:VNo2m8n1
ぶった切り&長文失礼します。

十代の頃、留学していた時の修羅場。
大学寮だったんだけど、そこにはイカツイ顔の管理人さんとイカツイ顔の管理人愛犬がいた。
愛犬はガゼルという名のシェパード。
入寮した日に管理人さんから「彼(ガゼル)の好物は日本人女性」とか真面目な顔で言われてビビったけど、まぁそれは管理人さんのジョークで、ガゼルは吠えも噛みもしない良い子でした。
管理人さんとガゼルに挨拶をすることが日課になっていたある冬の日の夕方、大学から帰宅する途中で変質者に襲われました。
いきなりお尻を触られて抱きつかれ、私パニック。
なぜかヘルプミーと叫ぶ!(英語圏ではないです)
恐怖におののいていると、急に身体から重さがなくなった。
見ると、地面にのたうちまわる変質者と、変質者の腕に噛み付く犬。
ガゼルでした。
すぐに管理人さんがやってきて、変質者の身柄拘束。
私はただ呆然としていました。

あとから聞いた話。
管理人さんがガゼルを連れて散歩に行こうとしたところ、ガゼルが耳を急にピンとたて、走り出したそうです。
管理人さんには聞こえなかったけど、ガゼルが私の悲鳴を聞き取ったのだろうと。

管理人さんとは今でも手紙のやり取りをしています。
ガゼルの五回目の命日である今日。
感謝の気持ちでカキコ。

2015年7月14日

【良い話】近所に耳の聞こえないおじいさんが住んでたんだけど弟が懐いていた→やんちゃになっても弟はおじいさんとはずっと仲が良かった。→そんなある日、突然弟が・・・

58: おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2014/01/30(木) 09:56:59.95 ID:n2lRnUwk
長いです。吐き出しをかねて。
うちの近所に、いわゆる聾唖のおじいさんが住んでた。
祖父母と同世代くらいで、事情があるのか、家族はいないそうで、親戚とも離れて一人暮らしだった。
私は、小さい時、「聾唖」ということがわからなくて、どうしてあのおじいさんはいつもニコニコしてるのに、
挨拶しても返事してくれないのかな?と思って、母に尋ねた。「おじいさんは耳が聞こえなくて、喋ることもできないの。
だから、あんたが挨拶しても聞こえないの。無視してるんじゃないのよ」と教えられ、聞こえない、喋れないってつらいなと思った。

そんなおじいさんに、弟はよく懐いてた。おじいさんは手話もできなくて、意思の疎通は基本的に筆談。学校もまともに行けてないそうで、
ひらがなばかり。弟が「今日ね、○○(差別用語)さんに漢字教えてあげた!」と言った時、母が卒倒しかけたけど、その差別用語は、
おじいさんが幼少期からずっと、周囲に言われ続けたことだった。自分が耳が聞こえないのは本当だから、と。
両親は弟に「いくら本人がいいと言っても、そう呼んじゃ駄目」と言っていたが、6歳の弟にはよくわからなくて、結局、親が折れた。
幸い、近所の人達も、おじいさんが自分のことをそう言っているのはわかってたから、弟は責められなかった。

2015年7月3日

【幽霊?】事故で無くなったはずの嫁が俺の前に立ってた・・・→幽霊か?と思ったんだがどう見ても幽霊には見えなくて・・・

931: おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2013/01/25(金) 20:15:30.71 ID:3KAN41FU
事故タヒした嫁さんの幽霊が出て来た事
それが透けてもなくてごく普通に生きてる人間みたいだった事
こういう幻覚を数ヶ月も見つつ普通に暮らしてた事
病院に行ったら見れなくなると思って必タヒで隠してた事

2015年6月22日

【祖母】おばあちゃんはいつも私に「お腹空いてない?なんでもお食べ」と可愛がってくれた→そのおばあちゃんの危篤状態のとき、病院にいくと「お腹空いてない?お腹空いてない?大丈夫?」→その後、父から事情を聞いたら・・・

194: おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2011/05/03(火) 21:46:47.97 ID:gsHmsVal
先月、祖母が亡くなりました。89歳でした。
孫の中では私が一番年下なせいか(父が末っ子)、いつも私は「小さい子」扱いで可愛がってもらってました。
「○ちゃん、お腹空いてない?おやつあるよ、羊羹もきんつばもあるよ。ばあちゃんちにあるものなんでもお食べ」
といつも言われていました。和菓子があまり好きでない私は、いつもちょっと困ってました。
ひ孫もいるけれど、晩年に痴呆の症状が出てきていた祖母は、ひ孫のことを私の名で呼んだりしていました。
きっと私のイメージはいつまでもそのように「小さい子」だったのでしょう。

もういよいよ危ないというとき、両親と共に病院になんとか間に合い、祖母と話ができました。
祖母は父に、母に、何度も何度もお礼を言っていました。
けれど、私の顔を見るなり急に動転しだしたのです。

「○ちゃん、お腹空いてない?お腹空いてない?大丈夫?お腹空いてない?」

そればかりを繰り返すようになった祖母・・。
私が「大丈夫だよ、おなかいっぱいだよ。ご飯食べたばかりだよ」と言うと、心底ほっとした顔をしてました。
父が「母さん、棚に羊羹があったろう。あれを食べたから大丈夫だよ」と目に涙を浮かべながら言いました。
「そうかい、羊羹あったかい。それじゃ安心だ。・・○ちゃん、お腹空いてない?大丈夫?」
同じ会話をずっと繰り返し、しばらくして祖母は静かに眠り、そのままずっと眠りにつきました。

父から、祖母は戦中・戦後の貧しさの中でわが子を亡くした人であったこと、弱ったわが子(父の姉)が
地主さんから恵んでもらった羊羹で助かったことがあることを教えてもらいました。

2015年6月4日

【母子家庭】幼い頃、母は帰りが遅く、酔っ払って帰ってくることが多かった→そんな中、母の同僚が面倒見てくれたりして仲良くなってたけど・・・→最近知った事実が衝撃だった!

391: おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2013/05/17(金) 23:49:04.11 ID:FoVh/fgi
投下します。

家はずっと片親で、母親がホステスでした。

10才で祖母が死んでから母と二人暮らしになって、
酔っぱらって帰ってきた母親の介抱をしたり、
店での愚痴を延々と聞かされたりしました、

夜もひとりぼっちで、母親の仕事が長引いたり、
あまりにも泥酔してる時は、母親の店の同僚が来て、
代わりに朝ごはんを食べさせてくれたり、
勉強を見てくれたりしていました。

色んな人に可愛がってもらったけど、
中でも優しくしてくれたのは、Sちゃんという人で、
カードが欲しいと言ったら、
母親にホストの名刺を渡されてがっかりした僕に、
こっそりカードを買ってくれたりしました。

Sちゃんが近くに引っ越してきてからは、夜ごはんをご馳走になったり、
スライムの作り方やビーズ刺繍を習いました。

そんなSちゃんが震災で亡くなって、
実は男だと知った時、心の中が修羅場でした。

壇蜜をもっと綺麗にしたような人で、全然男には見えなかったから。

貯めていたお金で、
今日Sちゃんが持っていたのと同じロレックスを買ったので
記念カキコ。Sちゃんは今でもずっと憧れの女性です。

2015年6月1日

【騙し】習い事のクリスマス会で豪華商品を引き当てた私。浮かれ気分でいると年上のお姉さん方がやってきて→「わたしのと交換しない?」「こっちの方が沢山入ってるよ!」→世間知らずだった私はその言葉にうまく乗せられて家に帰ると・・・

758: おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2013/06/14(金) 13:46:14.27 ID:bL5we0cy
誰とも揉めたわけではないけれど子供の頃の個人的な修羅場。


幼稚園年長の頃そろばんを習っていた。
その教室でクリスマス会が開かれた。
幼稚園と小学生で数十人は集まっていたと思う。
オレンジジュースとお菓子が出て、暗算大会とかがあって
最後の方でプレゼントのくじ引きがあった。
前に出て番号を引き、その番号のプレゼントを次々に受け取って行った。
私のは上位の賞だったので鉛筆やペン、のり、メモ帳などが
沢山入った素敵な文房具セットだった。
本当に嬉しくて大金持ちになったような気分だった。
「三丁目の夕日」みたいな環境だったので我が家では文房具一つ一つが宝物だった。
何度も取り出しては眺め、なおしてはまた眺めて「早く家に持って帰って
お母さんに見せよう、妹には何か一つ分けてあげてもいいかな」と思っていた。

私の前の席には小学生の4~5年生くらいのお姉さんが二人座っていた。
曜日が違ったみたいで、知った顔ではなかった。
その二人が何回か私を振り返っていたことを覚えている。
終わったあとでそういうことだったのかと気づいたのだけれど
そのときは別段何も思わなかった。
そして一人が私に「ねえ、これとそれ、かえっこしよ」
「こっちの方がたくさん入っているよ」みたいな事を話しかけてきた。
もう一人の人も「私ならかえっこする。
絶対こっちの方がいいもん」のような内容で薦めてきた。

私は素直に信じた。
「私が小さいからもっといいものを譲ってくれようとしているんだ、
なんて優しいお姉さんたちなんだろう」と。

2015年5月28日

【良兄】10コも離れた妹の面倒を見ていた俺→ある日、幼稚園から帰ってきた妹が泣いていたので理由を聞いてみると・・・俺「そんなの納得いかん!」→猛抗議したところ・・・

461: おさかなくわえた名無しさん 2010/02/02 19:10:00 ID:0Wxw8Uos
流れ読まずに投下。
武勇伝じゃない気がする上に、かなり昔の話なんだけど。

俺には妹がいるんだが、これが何と10も年が離れてる。
しかも俺が13、妹が3歳の時に母親が死んじまったんで、
俺が母親代わり(父親は生きてるからさw)みたいなもんだった。
父親は仕事で忙しかったから、妹の世話はほぼ俺の担当。
飯食わせたり風呂入れたり、つたないながらも自分なりに一生懸命やってたと思う。

妹が5歳の時のこと。
保育園に妹を迎えに行ったら、なぜか大泣きしてやがる。
その日、お遊戯会の役を決めたんだが、妹はやりたかった役になれなかったらしい。
まあそれは仕方ねーだろ、あきらめろと最初は諭してたんだが
よく話を聞いてみると、どうもおかしい。
劇にはいろんな動物や妖精や探検家?が登場するらしく、
女の子の一番人気は妖精。妹も当然妖精がやりたかったようだ。
希望者多数だったので、決定は恨みっこなしのジャンケンにゆだねられるも、
妹は見事勝ち抜いて妖精5人のうちの一人に選ばれた。
ところが、先生が「○○ちゃん(妹)は動物の方がいいんじゃない」と妹を妖精役から外したという。
そんな馬鹿なと思いながら、俺はすぐに保育園に電話して確かめた。
そこで分かったのは、劇の衣装は保護者が作らなければいけないこと。
そして、妖精のひらひらの衣装はとても難しく、俺の家では無理だと判断され、
お面などを作れば済む動物役に妹が割り振られたことだった。

2015年5月23日

祖父母「怒っても1日、泣いても1日、笑っても1日。同じ1日なら笑って過ごす1日が良いよ」こう言ってくれる祖父母に見透かされていたのかもしれない小学校時代・・・

623: おさかなくわえた名無しさん 2013/04/04 01:34:59 ID:WlC+JW3O
小学校6年生になった日から1年間無視をされていた
無視というか存在自体が無いこととされていた

クラスメイトが「遊び」だと主張したので教師も悪ノリしていたのだろう
教科係経由で提出した提出物が無くなったり道具が無くなったり給食がないこともあったが、
通っていた小学校は教科ごとに教師が違うので、提出物は担当教師に直接提出したり、
(担任の教科は職員室で担任がいない時を見計らって他の複数の教師に声を掛けて提出した)
給食は給食室に残飯を取りに行っていた

雪の日に「雪の中に石を入れて投げてはいけません」と教師が言えば、
クラスメイトは「誰もいないから大丈夫だよね」と私に向かって投げてくる
突然「素振りの練習」と言いながら平手打ちをされる
そんな毎日が小学校卒業まで続いた

正直無視されていたことよりも親にバレることが何よりも嫌だったので
家では常に笑顔で、楽しそうな学校生活を送っている振りをしていたのがキツかった
実際は朝起きてから寝るまでずっと謎の腹痛と吐き気と頭痛に襲われていたけど、
「今日も学校楽しみだな」みたいなことを言って笑顔で出掛けて、
帰ったら「今日も学校はこんなに楽しかったよ」と嘘の報告をしていた
演技力の甲斐あって、今でも親は私の小学校生活は楽しいものだと思っている
(実際に当時の写真やビデオは満面の笑みで楽しそうなものばかりだ)
お陰で演技力と妄想力(脳内友人や脳内ストーリー構築)は逞しくなったよw

中学生になったら無視がなかったかのように元クラスメイト達から普通に話しかけられたが
その頃には人間なんてそんなものだと思っていたから特に何とも感じなかったし、
誰にも頼らずに自分のことは自分でやる癖がついた
結果、誰にも頼りたくなかったから小学校から大学まで1日も授業を休まなかった

改めて思い返してみると、修羅場というかある意味強くなった話で申し訳ない

2015年5月16日

【感動】俺は一人っ子だったが、二人の偉大なる『兄たち』に感謝している。俺「ふがいない『弟』でごめんな」→その偉大なる『兄たち』とは?!

714: おさかなくわえた名無しさん 2010/01/19 20:37:59 ID:hNMZqfnP
二人の兄が死んだ事。つってもヨウムとハスキーなんだが、敢えて二人と書いた。ヨウムは母親が子供の頃に、父親(俺にとって祖父)の知人から贈られて以来、 ハスキーは母親が俺を身籠った事が分かった翌日に父親が連れてきた。 俺は小さい頃、一人で勝手に遊び歩いては知らない所まで迷い込んで帰れなくなってた。 知らない所と言っても、今にして思えば一駅に満たない距離だったが、 無我夢中であちこち歩き回り、ふと気付くと全然知らない所にいて、それは心細かった。 そんな時は大体、ハスキーが迎えにきてくれた。 夕方になっても俺の姿が見えないと、ヨウムとハスキーは家で良く騒いでたらしい。 それで父親もはてと思い、ハスキーを連れて出てみると、いつも俺をみつけてくれた。 んで連れられて家に帰ると、玄関で待ってたヨウムが肩に止まって 「オカエリ、オカエリ、ヨカッタネェ~」と連呼する。 俺は間違いなく二人を兄弟だと思ってたし、彼らもまた、俺を弟の様に思っててくれたと思う。 ハスキーは俺の大学合格を見届けるかの様に、それから間もなく、19年の生涯を終えた。 ヨウムは俺が就職して間もなく。その頃は一日の殆どを止まり木の上で過ごしてたけど、 毎朝毎晩の挨拶は欠かさなかった。ある夜、いつものように「おやすみ」って声をかけたら、 その日はいつものように「オヤスミ」でなく「バイバイ、バイバイ」って言うんだ。 「違うでしょ、おやすみ」と言って「オヤスミ」と一言返ってきたが、俺が部屋から出る時は やっぱり「バイバイ」だった。 翌朝、止まり木から降りて、籠の隅っこでうずくまってた。48年の大往生。 不出来な弟で苦労かけたと思うよ。でも一人っ子でも寂しくなかったのは、 頼れる兄が二人もいたからだって俺は今でも思ってる。 何でこれ書いたかって、もう犬も鳥もいない生活が余りに寂しいから、そろそろ 新しい家族を迎えたいなと色々考えてたんだけど、これ書いてて涙とまんねえから まだ暫くは無理そうだ。